風見鶏の備忘録

ゲーム作ったりしている学生です.読んでくださりありがとうございます.

【願望】クリエイター目線のゲームに対する文句について

はじめに

 現在様々なゲームが登場しており,多くの人がそのユーザーとなっている.この記事を書いている僕もそれに漏れることなく,Apexやスマブラ,シャドバ(最近していない)などのゲームをプレイしている.こう知ったゲームをプレイし友人とその話をするときにたまに話題になるのがゲームの構造に対しての修正案や文句である.例を挙げるのであれば,「あのキャラ強すぎるからナーフしろよ」などといったものである.僕もこのような話を自分からすることもあるし,話を楽しむこと自体を目的とした会話であれば問題ないが,真剣に苦情として文句を持っている人もいるだろう.今回はこれに対する良し悪しについて書いていきたいと思う.

ゲームを作る目的

 僕たちがゲームを作る目的は大きく二つあると僕は考えている.一つ目は多くの人にプレイしてもらうことである.僕たちの多くはツイッターでいいね稼ぎをしている人と同じように自己顕示欲があり,また,マルチ商法をしている人たちと同じようにお金稼ぎをしたいと考えている.そのため,多くの人に自分が作ったゲームをプレイしてもらい,そのゲームをスタンディングオベーションしながら絶賛してもらえればとてもうれしいと感じる.
 その一方で僕たちがゲームを作るのには今言ったような目的のほかにもう一つ目的が存在する.それは,自分が作りたいゲームを,自分が作りたい世界を表現することである.僕はゲームクリエイターも画家や作曲家などといったクリエイターと同じような要素を含んでいると考える.これらの職業はどちらもクリエイターであり,他人に評価してもらうことで収益を得るという点において同じである.この目的はそれらの芸術家と同じようなものである.

なぜ文句を言われるのか

 しかし,画家や作曲家はそのファンから「この緑はもうちょい黄緑に近い色にすべきだろ」とか,「個々の音はシじゃなくてドのほうがいいだろ」とかを正当な感じで言われている印象はない.正当な感じとはその文句を「このほうがいいのになー」というニュアンスではなく,「こうしなければならない」という怒りにも近い感情の文句を指す.ならば,なぜゲームに対しては怒りにも近い文句が多くあがり,絵や曲にはそのようなものが発生しにくいのだろうか.
 ここで,ゲームと前述した他の芸術さん品との違いについて考えてみよう.まず,一つ目の違いとしては他の芸術は客が受動的に受け取る部分が大きいという部分だと思う.絵は見て感じる.曲は聞いて感じる.というのに対してゲームはプレイをして感じる.プレイというのは見るし,聞くし,プレイをする笑.プレイをするというのは言葉で説明するのは難しいが,キャラクターを動かしたり,自分で数ある選択肢の中から一つを選んだりをする.そして,その結果として勝利・敗北,またはクリア・失敗などの結果が返ってくる.結果としてよい法と悪いほうの二種類が存在するために,ゲームというのはイラつきを覚えることができ,怒りの感情が生まれるのかもしれない.
 また,ゲームにはわかりやすく色々な要素があることも,その原因かもしれない.ゲームにはグラフィック,操作のしかた,ゲームのシステム,キャラクターなどの個性・効果など,初心者でも分けて考えることができる要素がさまざまある.したがって,曲で言うと「曲はめっちゃいいけど歌詞がお経」みたいなことが起きやすいのかもしれない.

結局のはなし

 長々と語ったが,要約するとゲーム制作は芸術と似ているのにもかかわらず,ユーザーから文句を言われやすいということであった.結局ユーザーの文句に対してクリエイターはどのように捉えるべきなのか.僕はクリエイターのゲームを作る目的が収益目的によっていればいるほどユーザーの文句はありがたい意見であり,芸術に近ければ近いほど誹謗中傷に近づくと思う.収益目的であれば文句は費用対効果が高そうであれば,その意見を飲み,そうでなければ無視すればよいものと考えられる.一方で芸術としてゲームを創っている場合には,それはある意味で自分を表しているものであり,それに対して激しい文句を言われたのならばツイッターに投降したお気に入りの自撮りに対して「きもちわるい」「ぶさいく」などとのリプライが大量に来るのと変わらないのかもしれない.しかし,芸術目的であっても,その文句が自分の表現したい根幹に近いかどうかで誹謗中傷なのか,ありがたい意見七日も変わってくるだろう.文句が表現したい根幹に近いとは,自撮りの例で挙げると,自分が気に入ってる服やメイクに対する批判にあたるだろう.その一方で根幹に遠い場合とは,たまたま着けていたピアスやメインの服に合わせてたまたま着ていた服などに対する「その場合だったら違うようなアクセサリーや服を合わせたほうがメインの服が引き立つよ」などといった意見になるだろう.まあ,なんにしろゲームに対してもツイッター上の自撮りと同じようにやさしく意見をしてくれると,僕たちクリエイターはとてもうれしい気持ちとなる.誰にしろどんな意見にしろ,言われ方でかんじかたはぜんぜんちがうものとなるのだから.

自分の話

 ここで,僕の最終的に作りたいゲームの話に移る.僕は圧倒的に芸術に寄った自分が作りたい世界としてのゲームを創りたいと考えている.ここでは自分の都合をメインとして,ユーザーがどのように感じるのかは二の次に考えたい笑.具体的にはゲームはいつでも自分がやりたいタイミングでプレイできるという常識を覆したい.例えるのであれば,水曜日の8時から10時までしかプレイできないゲームなどである.このようなゲームは僕が知らないだけで存在するのかもしれないが,少なくとも今のゲームの主流ではないだろう.しかし,このことによって広がる表現の幅は大きいのではないかと考えている.つまりどういうことかというと,一週間の大半はメンテナンスに充てられるということだ.現在のゲームでは月に一回でも突然メンテナンスが始まれば文句が集まるというのにだ.
 今までの文章を読んで僕が今後作るゲームに興味がわいた人はめちゃくちゃ長い間待っててください.どのようなゲームを創りたいかはあらかた決まっていますが,全然手を付けていないため...何らかの方法で僕に応援メッセージなどを送ることができれば,モチベーションが上がり,完成が早まるかもしれないです.バイバイ!